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風雪45年の断章    そして今・・・行雲流水の日々

昭和46年 鶴丸高校卒業式反対運動をスクープ取材昭和48年 奄美大島からの日本初の全国中継(11PM)を終えて藤本義一氏と懇親会ローマ法王に特別謁見を前に(於 バチカン サンピエトロ広場)ローカル制作の充実と賞与UPを求めて昭和46年の年末闘争でデモ1980年代の報道デスク移民70周年を記念してブラジルのイグアスの滝を撮影ズームイン朝の海外取材(フイリッピン・エルニドリゾート)でダイビングと水中の珍魚を撮影昭和46年 鶴丸高校卒業式反対運動をスクープ取材藤本義一氏の別荘でポルトガル国営放送でVTR素材のチエック藤本氏はたびたび鹿児島に講演に訪れた直木賞受賞作品「鬼の詩」にサインする藤本氏

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img196.jpgimg214.jpgimg197.jpgEPSON086.JPG無題1.jpg
無題.jpg無題あ.png11.png無題2.jpg

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懐かしの写真6

ジャーナリズムを追い続けた40年

開局2年目(昭和47年)当時の超高級カメラ(音声収録可能)BLを使って鹿児島市の鶴丸高校前で取材する小笠原氏(入社2年)、米村氏(入社11か月)、川越氏(入社2年)の3人(下の写真左から・クリックすると拡大)。早朝から卒業式反対のビラを配る鶴丸高校生にインタビューしたスクープ取材。3人はKTSの労働組合運動にも先鋭的な活動を展開した(右上写真参照)。組合運動には「すべてはKTSの発展の為に・・・」という共通認識があり、いわゆる「一般の労働組合運動」とは一線を画していた。


また川越氏が刊行した「報道界」という雑誌を通じて当時、鹿児島県が推進していた新大隅開発計画などに対して反権力・反公害の立場で報道を続けた。テレビと活字の両方の世界で地域の問題を見続けた。「報道界」の1971年8月号には鹿児島テレビ労働組合の365日間の記録を掲載。組合の結成時の様子が生々しく描かれている。「報道界」の発行は数年間続いた。「テレビ映像研究」は当時、番組制作のための専門誌で全国の多くのテレビデレクターに愛読された。1980年1月号では米村氏がKTSの番組制作について報告したLinkIconその後の3人は・・・


EPSON039.JPGEPSON033.JPGimg199.jpg無題111.jpg


懐かしの写真7

ドキュメンタリー「最後の山師」取材。カメラ・記者・ディレクターの一人3役

EPSON014.JPG菱刈金山で金の採掘にあたる前田正吉さんを追う。カメラは川越氏。東山ケ野鉱山開発に生涯を尽くした前田さんは6000億円以上の黄金が眠っていると信じて鉱山開発に執念を燃やした。

キャノンスクーピックカメラでブラジル取材

ブラジル移民70周年を記念して鹿児島県からブラジルに渡った家族を取材。戦前、鹿児島県からは多くの県民がブラジルに渡り生活を始めたが、成功した人、挫折し帰国もできず亡くなった人など様々な人生があった。

img126.jpgimg127.jpgimg129.jpgimg130.jpgimg128.jpg

ビデオ時代でも写真伝送器も顕在、速報重視の報道体制

EPSON028.JPG開局当時のカメラはベルハウエル社製(ドイツ)のDRだった。左手にカメラを持つ川越氏。このカメラは30秒間しか連続撮影できなかった。


EPSON006.JPG取材現場で撮影した写真(ポラロイド写真)はKTS報道部に設置された伝送受信機(写真左奥)で入手。ビデオ時代に入っても現場映像を速報する体制は維持していた。ニュースの重要な要素の一つは速報であるという土壌が報道部内あり、事件事故が発生するとすぐさまヘリコプター手配という動きをしていた。


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ズームイン朝でNTVスタッフと海外取材

フイリッピンのパラワン島に3週間滞在

ダイビングブームの先陣を切り、NTVのズームイン朝ではパラワン島のエルニドリゾートへ取材班を派遣。ディレクターはKTSに依頼があった。カメラなど技術スタッフはすべてNTVで
カメラマンとテクニカルディレクターは前年に日本テレビが世界で初めてチョモランマ登頂を撮影したときスタッフだった。当時ズームイン朝は視聴率15パーセントを常時獲得し日本テレビ内でも強い番組だったため、優秀な技術スタッフを集めることができた。カメラマンが見事な撮影テクニックを持っていたことにびっくり。

img133.jpgimg132.jpgimg134.jpgimg136.jpgLinkIcon詳細こちら

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会員の皆様へ

 本サイト事務局では会員の皆様からの最新情報、過去の思い出話、懐かしの映像(写真またはビデオ)を募集しています。
どんな映像でも、どんな思いで話でも結構です。記録に残すことでKTSの歴史を刻んでいきましょう。

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懐かしの写真1

 昭和46年・年末闘争(開局2年目)

img337.jpg 画面右から村田武徳(入社1年8か月)米村秀司(入社8か月)小笠原弦(入社1年8か月)山下郁郎(入社8か月)撮影川越一路(入社2年8か月)

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11PMを奄美から全国放送

img304.jpg深夜の人気番組11PMを鹿児島から発信。1976年4月25日城山観光ホテルから「おおらかにオープン薩摩の女」(デイレクター田代康人氏)に続いて翌年の1977年には奄美大島から「イモーレ奄美・コバルトの海に超えてる女」(ディレクター米村秀司氏)を全国放送。この時の視聴率は深夜にもかかわらず13.4%を記録。年間で最高の視聴率となった。

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人気のプロレスを全国中継

アントニオ猪木.jpg1970年代から1990年代まではプロレス番組がゴールデンタイムが放送されていた。KTSは新日本プロレス(アントニオ猪木・テレビ朝日系)と全日本プロレス(ジャイアント馬場・日本テレビ系)の両番組を放送。毎冬になると二つのプロレス中継を鹿児島県立体育館から放送した。
写真は左から米村秀司氏(担当デイレクター) アントニオ猪木 前田健二氏(中継カメラ担当)

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懐かしの写真2

 1980年代のニュースデスク

img037.jpg 1980年代の報道デスク。円形のテーブルの上に県警、県庁などとの専用回線の電話が置かれ事件や記者発表の連絡を待ちながら今日のニュースの構成を固めていった。

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他社を圧倒した選挙特番

EPSON010.JPG選挙報道で大量のパソコンを使って集票作業、当確ラインなどを判定。KTSの当確は他社より早いという定評があった。選挙報道は民主主義の根幹報道。報道だけでなく営業、総務、支社などの全社員が協力してくれた。選挙特番の台本も資料編、台本編の2部構成で印刷。候補者の略歴、過去の得票数、党派別得票数、開票所の電話一覧、票送り人名簿など選挙に関するすべてのデーターを印刷してスタッフに配布した。

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巨人が初めて鹿児島で試合

img055.jpg巨人がオープン戦で初めて鹿児島に来た。鹿児島ジャイアンツのちびっこ選手とともに王選手にインタビュー。小笠原弦氏の若いころの姿も・・・

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懐かしの写真3

全国制覇の鹿実ナインがいち早くKTS出演

img047.jpg第68回選抜高校野球大会で鹿児島実業が全国制覇し、鹿実ナインとともに紫紺の大優勝旗がKTSスタジオに持ち込まれた。
高校球児や高校野球フアンなら誰もが知っている深紅の大優勝旗(夏の甲子園大会)と紫紺の大優勝旗(春の甲子園大会)。このうち紫紺の大優勝旗が初めて鹿児島に渡されKTSには鹿実ナインがいち早く訪れた。これは・・・/

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懐かしの写真4

 NNN(日本テレビニュースネットワーク)脱会の日

img063.jpg KTSは開局からニュース協定を結んでいたNNNをこの日脱会した。日本テレビで行われたNNN報道部長会で米村秀司報道部長がお別れの挨拶を行った。KTSが開局以来NNNへ配信したニュース素材約2000本の取り扱いなどについて円満に双方合意した。鹿児島で新たに開局する鹿児島読売テレビ(KYT)は・・・

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初の自社制作番組「サンデーイレブン」

img111.jpgKTSの初の自社制作番組がサンデーイレブン(日曜日午前11時から45分間)で司会は小笠原弦氏、デイレクターは田代康人氏(兼プロデューサー)、と米村秀司氏の二人。先輩や経験者の指導がないまま毎日取材や編集にかけずり回った。毎週金曜日に収録して放送。狭いスタジオではコーナーが二つしか取れなかった。写真のカメラにはKTS旧文字ロゴが見える。

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大関若島津誕生で独占取材

img067.jpg1982年(昭和57年)鹿児島県種子島出身の若島津が福岡場所で12勝3敗の好成績をおさめ、大関昇進を決めた。KTSは場所前から若島津を・・・

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懐かしの写真5

 大相撲鹿児島場所開催

IMG_0001.jpg 若貴人気で大相撲が注目されているこの年鹿児島アリーナを使って大相撲鹿児島場所を誘致した。大相撲に付き物は桟敷席での飲食。しかしアリーナ内での飲食は禁止。このハードルを乗り越えるのに大きな知恵が必要だった。その知恵とは「相撲は国技」。この言葉が飲食を許可させる要因にもなり鹿児島場所の開催にこぎつけた。土俵中央からの堂々と鹿児島市(アリーナの施設管理者)を寄り切った。

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お知らせ

2013.4.18
LinkIcon会員名簿を更新しました。
2013.4.18
会員動向を発表しました。
2013.4.18
各種申請書を更新しました。
北アルプス登山参加者を募集中。
2013.4,18
霧島トレッキング。参加者を募集中

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懐かしの番組


◆思い出の番組・出来事

▶1か月にわたるスペイン・イタリアロケ・「バスクの熱き魂」

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イタリアのイエズス会本部で取材。カメラマンなどスタッフは現地のプロダクションに依頼。
ザビエルの右腕はローマのジエス教会に安置されていた。この右腕(イタリア重要文化財 )をザビエル日本上陸450年を記念して鹿児島に運ぶ作戦がこの時から始まった。
アリタリア航空で運ぶか?JALで運ぶか?日通美術品運送を利用するか?番組取材は・・・                          

LinkIcon新聞記事はこちらLinkIcon詳しくはこちら

◆思い出の番組・出来事
◆アメリカ・マイアミのTV局(チャンネル7)と業務協定締結

EPSON002.JPG小笠原氏、川越氏が中心となりKTSの海外展開策が検討され、その一環として上海電視台と業務協定を結んだ。これは前年のマイアミ市(アメリカ)のテレビ局に続くもので、上海電視台から7人のメンバーがKTSを表敬訪問した。LinkIcon詳しくはこちら

◆思い出の番組・出来事
◆上海電視台と業務協定締結

img116.jpg小笠原氏、川越氏が中心となりKTSの海外展開策が検討され、その一環として上海電視台と業務協定を結んだ。これは前年のマイアミ市(アメリカ)のテレビ局に続くもので、上海電視台から7人のメンバーがKTSを表敬訪問した。LinkIcon詳しくはこちら

◆思い出の番組・出来事
◆香港のテレビ局と業務協定締結

img184.jpg香港TVBとの業務協定で香港TVBの社長へ日本人形を贈呈する才川俊郎専務。業務協定の調印式には才川氏、森氏、小笠原氏の3人が香港TVBを訪問。鹿児島と香港は当時、JALが路線を開設。鹿児島県や鹿児島銀行は香港に駐在員を派遣していた。KTSでは業務協定を受け、TVBから素材をもらい、KTSのニユースで月に1回「香港便り」の放送を続けた。LinkIcon詳しくはこちら

◆ザビエル特番を契機に・・・

▶日置市東市来町にザビエル像建立

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日置市東市来町の鶴丸城跡をかつてザビエルは訪れた。ここに有志たちがザビエル像を建立。
元鹿児島大学学長、石神兼文氏を中心に建立運動を展開した結果、多くの人から浄財が集まった。
建立式典にはスペイン公使、上智大学高祖理事長ら県内外から多くの人が集まった。                          

LinkIcon新聞記事はこちらLinkIcon詳しくはこちら

◆思い出の番組・出来事

▲あなたの鹿児島・制作費6000万

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制作費6000万をかけて始まった「あなたのかごしま」。番組スタートと同時に鹿児島の人気番組になった。KTSの局アナ全員がなんらかのコーナーに出演するのに加え、東京から毎週レギュラー出演するタレントたち。MBCも同時間帯にローカル番組(MBCです!こんにちは)があったが、すぐにMBCをしのぐ番組になり、スタッフは燃えた。そして・・・LinkIcon詳しくはこちら

◆思い出の番組・出来事

▲正月特番「人間・二階堂進」を制作

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当時、自民党副総裁だった二階堂進氏は田中派会長として総裁候補と呼ばれていた。田中派が経世会に分裂するまでは二階堂進氏は鹿児島はもちろん、永田町でも絶大なる力を保持していた。番組では高山町の二階堂邸に中継車を持ち込みインタビュ。あわせて東京の議員会館や新宿の住まいでも撮影。正月特番として放送。二階堂氏直筆の御礼の手紙をいただいた。LinkIcon詳しくはこちら

◆思い出の番組・出来事

▲KTSがドラマを本格制作「江夏八重子の生涯」

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日本に西洋医学を伝えたウイリアムウイルスの妻「八重子」の生涯を和田勉監督の下で制作。県内各地でロケをおこなった。熱気あふれる和田監督の演出にスタッフも圧倒されながらドラマ制作に臨んだ。LinkIcon詳しくはこちら

◆思い出の番組・出来事

▲自社制作番組「さつま八面鏡」を出版

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1979年(昭和54年)、自社制作番組「さつま八面鏡」の対談集を発行した。この番組は鹿児島の文化、芸能、歴史、民俗などをテーマに対談やドキュメンタリ構成で制作。
多くのデレクターがこの番組の制作に携わった。そして・・・                             

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