黎明

黎明の群像

EPSON034.JPG「薩摩藩英国留学生」の著者にインタビューする小笠原氏/右は著者の犬塚孝明氏(現・純心大学副学長)
幕末の薩藩留学生の足跡を香港、イギリス、アメリカなどに長期ロケ・ギャラクシー賞受賞

1982年(昭和57年)、鹿児島市は50万都市になったのを記念して西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)前に、幕末の薩摩藩留学生たちのモニュメント「若き薩摩の群像」建立を計画した。これは、開明的な薩摩藩が幕末期(1865年)に国禁を犯して英国に派遣した19人の若き藩士たちの偉業を顕彰したものだった。KTSはこのモニュメント建立計画と並行して、開局15周年記念に彼らの功績を称える特別番組「黎明の群像」の制作を独自に進めていた。 

これは川越一路氏(ディレクター)の企画によるもので、5時間に及ぶこのドキュメンタリー番組の制作費概算は当時としては破格の金額で1600万円であった。
彼らの足跡を辿り、彼らが欧米で何を学び、帰国後は新生日本で何を担ったかを克明に取材、制作するものであった。串木野羽島を振り出しに香港、スエズ、エジプト、ロンドン、スコットランド、パリ、アメリカ各地の海外取材の他、神戸、大阪、横浜、東京、そして北海道までの国内取材を敢行する計画であったから必然的予算ではあった。しかし、当時の1600万円という制作費はあまりに高額予算で、経営陣からはNGの回答だった。嘆願の末、半額の800万円の予算しか与えられず、取材規模も縮小されたが、スタッフの作りたい意欲が勝り、制作をスタートさせることにした。ところが、取材先で次々と発見する新たな事実に予定以上に奔走し、カメラを回すことになった。そして、質の高いものを作りたいというスタッフの意欲はますます増して、終わってみれば結局、当初の経費1600万円を使ってしまったが、全国の業界でも地元鹿児島でも画期的な番組として高い評価を得ることとなり、KTSのイメージを大いに高めた。

連夜5回に亘って放送された番組の反響は大きかった。当時建設中の県歴史資料館も「黎明館」と命名され、地元銀行では「黎明」という名の定期預金がスタート、老舗のお菓子屋さんは「黎明」という新作菓子を発売するなど、KTS特番「黎明の群像」は社会に大きな影響を与えた。
そして、KTSの歴史に残る質の高い大型記念番組となり、NHKを含めた番組コンクールでギャラクシー選奨にも輝いた。また、番組全編でレポート役を務めた小笠原氏は翌年のNNN(日本テレビ)系列第5回のアナウンス大賞を受賞した。

特筆すべきは、1983年11月にアメリカのレーガン大統領が日本を訪れ、国会議事堂で演説した際に薩摩藩英国留学生の一人長沢鼎のことに触れたことだ。
無題.jpg長沢鼎(のちにカリフオルニアのブドウ王となる)

これは、川越氏が「黎明」放送終了後に番組を収めたVTRテープと手紙をホワイトハウスに送付したことでレーガンが長沢鼎を知ることとなり、アメリカと日本との古くからの友好関係を強調するために述べたものであった。川越氏はレーガン大統領の訪日前に届いたレーガン直筆サイン入りのお礼の手紙を今も大事に保管している。
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レーガン大統領から川越氏へ贈られた感謝の手紙

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南日本新聞は川越氏に贈られたレーガン大統領からの手紙を大きく報道した。

ローカルテレビ局でありながら長期にわたる海外取材を重ね、新事実を見出して、まことしやかに伝えられていた歴史の誤りを正し、学術的にも番組としても大きな成果を上げたこの番組は、一方で、番組に携わったスタッフ個々の人生においても忘れることのできない貴重な経験となり、かけがえのない財産となったにちがいない。


ただ、残念なのは、鹿児島市が建立した「若き薩摩の群像」には17人の像しかないこと。留学した19人のうち2人は長崎と土佐出身の藩外者(よそ者)ということでモニュメントから外されている。現代の鹿児島市は、約150年前の留学生を派遣した当時の薩摩藩主、藩民より度量が狭いと言わざるを得ない。(原稿提供 小笠原氏)
http://www2.tky.3web.ne.jp/~kirino/6.html

なお、鹿児島県いちき串木野市の羽島地区には薩摩藩留学生たちの業績などを保存した資料館が2014年までにオープンすることが決まっている。


◆鹿児島中央駅前(当時・西鹿児島駅前)に建立された薩摩藩留学生たちの像

DSC_0382.jpg19人が串木野から海外へ留学したが、留学生は17人しか顕彰されていない。

EPSON035.JPGこの番組のリポートで小笠原氏はNNNアナウンス大賞を受賞した。


EPSON036.JPG留学生の一人、松村淳三が海軍術を学んだアメリカ・メリーランド州の「海軍士官学校」で取材スタッフが記念撮影

EPSON017.JPGスタジオ部分の収録を交えながら5回連続で毎日夜に放送した。


EPSON016.JPGエジプトのピラミッド前でリポートする小笠原氏とスタッフ。薩摩藩留学生もかつて巨大なピラミッドを見て感動した。





img181.jpgギャラクシー賞を受賞し受賞式会場で記念撮影。
企画立案から約1年。19人に及ぶ留学生の資料収集をはじめ、日本各地はもちろん世界各国にわたる調査は、日常の業務を遂行しながら寸暇を惜しんで行われた。土日の休みも返上して行われた取材や事前調査では多くの新しい発見があった。番組構成、台本制作、ナレーション原稿の作成、BGM選曲など川越氏が中心になり行われた。一人三役、四役も苦にならないほど燃え、八面六臂で番組制作をこなした。

「海外取材では日本出発前に準備していたデーターに加え、次々に新しい事実が発見され、この事実を加え各地でリポートを行った。幕末の薩摩藩士の足跡を確認しながら緊張と感動の連続だった。」と小笠原氏は当時を振り返っている。
番組はカメラ、音響効果、スタジオセット、スタジオFD、デザインなど社内外のいろんなスタッフの協力を得て放送した。そしてこの番組は栄えある賞を受賞した。