3番組

バスクの熱き魂

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ザビエルと薩摩人の銅像建立(鹿児島市山下町のザビエル公園内)をKTSが主導

KTS開局20周年記念特別番組として川越一路報道制作局長が企画提案。長期間にわたるヨーロッパ取材 が認められた。
この企画はザビエル公園内にザビエルと二人の薩摩人(ヤジロウとベルナルド・日本名は不明)の銅像を建立する市民運動と連動して進められた。一般市民などで構成された「ザビエル上陸顕彰会」に川越氏が理事として加わり(途中で米村秀司報道部長に交代)、①「銅像建立」、②「番組制作」、③「鹿児島スペイン協会設立」、さらにザビエルの右腕(ローマに現存・イタリアの重要文化財)の鹿児島再上陸(450年ぶり)の④「KTS独占撮影権の獲得」など他社を圧倒する計画(ザビエル企画4点セット)が当時の米村秀司報道部長と川越一路報道制作局長の間で極秘裏に進められたそして、この計画はひとつずつ確実に実現していったが、プロジエクトの全体像は社員の誰も知らなかった。

このほか、山形屋で「写真パネル展」、城山ホテルで「ザビエル国際シンポジウム」、北埠頭の緑地帯で「ザビエル街道物産展」、市民文化ホールで「スペインフラメンコシヨー」、観光連盟から受託した「ザビエル街道マップを記したパンフ作成」など様々なイベントを郵政省、鹿児島県、鹿児島市などと連携し実施。これらのすべてのイベントの運営はKTSと子会社KCR、KTS開発が受託。他社はザビエル関連のすべてのイベントに全く手も足も出ない形になり、広告代理店電通もザビエル関連のイベントの計画をKTSに尋ねることがたびたび発生した。

KTSのザビエル関連の売上は1億を超え、会社は米村秀司事業局次長(当時)へ個人として社長賞を贈った。
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◆ローマ法王に特別謁見とKTS開発製作のザビエル像贈呈

011001022.jpg企画はローマ法王ヨハネパウロ2世との特別謁見することに発展


img076.jpgバチカン国のサンピエトロ広場にローマ法王が登場すると世界各国からの巡礼者や観光客からどよめくような歓声があがった。

011001002.jpg鹿児島から持参したF・ザビエル像を手渡すKTS開発(現KCR)の工藤宰氏。後方でカメラを構える米村秀司氏



img075.jpgローマ法王専属のSP(後方左男性)の監視を受けながら撮影する米村秀司氏(後方左から2番目)





img077.jpg大役を終え、ほっとして記念撮影(右から米村秀司氏・工藤宰氏)



img079.jpg鹿児島からの巡礼団はローマ法王に特別謁見することが許され、サンピエトロ広場で迎えられた。

◆銅像建立とザビエル歴史街道の策定

020416122.jpgザビエル公園内に建立された3体の銅像(ザビエル・ヤジロウ・ベルナルド)
ヤジロウはザビエルを鹿児島に連れてきた薩摩人。ベルナルドは日本名は不明で洗礼名だけが記録に残っている薩摩人で日本人として初めてヨーロッパにわたりローマ法王に謁見した。これらのことはすべてローマにあるイエズス会の古文書館に記録として残されている。


020416101.jpg銅像建立の記念式典にはスペイン大使夫妻も来鹿児島。須賀鹿児島県知事、赤崎鹿児島市長、溝口鹿児島県議会議長も出席したがこれらのコーディネートはすべてKTSとザビエル上陸顕彰会がおこなった。特にスペイン大使夫妻の来鹿コーディネートはKTSがおこなった。鹿児島県の国際交流課の担当者も大使夫妻の来鹿日程や鹿児島での動向などKTSに尋ねる状況だった。

020416081.jpg挨拶する須賀知事

020416111.jpg仏教界から福昌禅寺の富永住職も式典に参加。銅像建立を祝った。キリスト教、仏教の宗派を超えた式典だった。

020418001.jpg式典で配られたパンフ

annnaibann051.jpgザビエル歴史街道の標識。鹿児島市祇園之洲(ザビエル上陸地)から薩摩川内市京泊までを「ザビエル歴史街道」として整備することになり、伊集院の一宇治城(ザビエルとし島津貴久会見地)や東市来の鶴丸城(ザビエルが布教に立ち寄った城)などに遊歩道などが設置された。合わせてザビエル歴史街道を示す標識が13か所に設置された。標識だけでも3000万の予算で鹿児島県は設置した。1999年はザビエル上陸450年ということで鹿児島への観光客集客に一役かった。

zabierukaidouyazirouhaka.jpg「ザビエル歴史街道」に設置された案内板。KTS開発が製作したザビエル歴史街道のマップをそのまま利用して設置。鹿児島から薩摩川内市の間にこのような案内板が今も置かれている。写真は伊集院町のヤジロウの墓(伝)の前に置かれた案内板。