1980年代 of KTS社友会

Selected work

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1980年代の報道デスク。円形のテーブルの上に県警、県庁などとの専用回線の電話が置かれ事件や記者発表の連絡を待ちながら今日のニュースの構成を固めていった。
台風、大崎事件、種子島からのH2ロケット打ち上げなどはこのデスクに集められ原稿ちチェック、編集などを経て県内はもちろん、全国へ発信された。


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原稿は鉛筆で書く。パソコンなどない時代。


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KTSはジエットヘリで離島をはじめ県内各地で発生した事件事故をいち早く取材。当時先輩局のMBCはヘリを所有しておらず発生ものの速報はKTSの独壇場だった。警察の記者クラブではKTSがジエットヘリで撮影した映像を見て事件事故の概要を知る社がほとんどだった。KTS報道部は速報に力を入れる体制をこの時から構築していった。当時ローカル局でジエットヘリを独占使用している局はなかった。

日本テレビはこの事実を知り、鹿児島テレビの取材体制を高く評価した。台風取材などでNNN年間賞を受賞するなど全国のNNN局の中でKTSは多くのスクープ賞やニュース月間賞を獲得した。後年、ジエットヘリの運用経費をKTSとNNN(日本テレビ系)とで分担した。当時、空撮映像はNNN優先で全国放送した。FNN(フジテレビ系)はKTSがNNNを脱退したあと航空取材協定を結んだ。


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ニュースをつくった仲間たち

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ニュースをつくった仲間たち

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ニュースをつくった仲間たち

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ニュースをつくった仲間たち

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報道部と制作部が一体となり制作したスーパータイム530.古井、室屋、蔵屋のキャスターが担当し地域の出来事を2分以内にまとめて紹介。一日に番組で送出するVTR素材は15本前後になりスピーディな番組となった。当時札幌テレビが「どさん子ワイド」というローカルワイドを夕方の時間帯に放送し高視聴率を維持していた。民放界では札幌テレビの「どさん子ワイド」が注目され日本テレビ系のローカル局が先陣を切り夕方ワイドの制作に走った。各局のスタッフはズームイン朝の演出を学んだメンバーが中心だった。

KTSもこの流れにのり夕方ワイドを制作。報道部と制作部の垣根を取り払い報道制作局全員がニュース取材、情報ネタの収集に取り組んだ。当時は制作部が「なまいきボイス」、報道部が大型討論番組「どうする鹿児島」を制作。このふたつの番組は報道制作の両輪として位置づけられていた。こうしたなか報道部と制作部が融合(コラボレーション)し番組制作に取り組んだ。報道、制作の垣根はどこの局にも存在するがこの垣根を取り払うには大きな力が必要だったことは言及するまでもない

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